挫折し、迷い、倒れ、絶望しないと、その声に注意しない。それが私たちなのだ。息子娘達、に、今教えようとする、けど、彼らは、良いです。自分でやるから、ほっといて、と、。
アダムと同じだ。肉が語りかけることに、だけ、従いたいのだ。今更、そのことに気付いても、もう遅い。と言いたいけど、しかし、神は、それでも、主の元に跪いて、お願いしますと、言うとき、
もうすでに、救いの道は備えてあるよ。と言われる。何という神、何という愛だろうか?しかし、いつまででも、ではない。
終わりの時、が、あるとも語られている。間に合わないことにならないで、救われるように、と切に祈ります。
主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、
大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた。箴言で語られている。わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。8章は、神の知恵について語る、イエスのことだ?
そして、色んなところで、呼ばわる。呼ばわるとある。街角で、丘の頂で、道のかたわらで、、、。門で、大声で、と、知恵は人々に呼ばわり、語ると、書かれている。そして、知恵の声に聞き従えと、、。
天にも、地にも、満ちて居るではないか、とご自身について語られる方は、常に、人間に、語り続けているのだと、正しい道を歩み、幸せになれと、、。しかし、私たちは、いつも迷い、神など居ないというのだ。
「 子どもらよ。今、わたしに聞き従え。幸いなことよ。わたしの道を守る者は。
訓戒を聞いて知恵を得よ。これを無視してはならない。
幸いなことよ。日々わたしの戸口のかたわらで見張り、
わたしの戸口の柱のわきで見守って、わたしの言うことを聞く人は。
なぜなら、わたしを見いだす者は、いのちを見いだし、主から恵みをいただくからだ。
わたしを見失う者は自分自身をそこない、わたしを憎む者はみな、死を愛する。」
箴言8:32-36(新改訳)
神の栄光が、この地を満たし、この日本を癒し、祝福されることを、
主の喜びが、あなたの上に注がれますように。

